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梅の絵といえば、浮世絵を思い起こします。
梅を描いた浮世絵は沢山あるなかで、最もインパクトがあるもの。
それはある有名な画家が模写したことで知られています。
フィンセント・ファン・ゴッホ
その画風に大きく変化をもたらし、影響していく浮世絵。
今回はその梅の浮世絵と、浮世絵の影響について書いていくことにします。
それでは一つずつ見ていきましょう。
ゴッホと浮世絵
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年-1890年)
ゴッホの代表作といえば「ひまわり」
この作品だけを見ると、ゴッホと日本には全く関わりがないように思えます。
しかしこの「ひまわり」
ゴッホが浮世絵を通して日本への憧れを抱いていたからこそ、この作品が生まれたのだとしたら。
そして日本人がゴッホの絵に親しみを覚えるのは、その構図や色彩が日本人に馴染み深いところにあり、それをどこかで感じるからなのかもしれない。
ゴッホが模写した梅
ゴッホが模写した梅の浮世絵。
それは浮世絵の大家、広重による作品。
歌川広重/1797年(寛政9年)-1858年(安政5年)
歌川広重「名所江戸百景 亀戸梅屋舗(かめいどうめやしき)」
画像出典:国立国会図書館デジタルコレクション
対して、この広重の版画を模写した作品がこちら。
Vincent van Gogh,Flowering Plum Orchard (after Hiroshige),1887
ゴッホ「日本趣味:梅の開花」
ファン・ゴッホ美術館所蔵
画像出典:ウィキメディア・コモンズ
この広重の作品を模写したゴッホの絵は、位置を違わずほぼそのまま写されている。
これはあらかじめ広重の版画を紙に写し描き(トレース)しておき、キャンバスにのせて下描きしたからなのだそうです。
それほどあるていど正確に模写したかったのだということ。
ゴッホのこの絵に対する熱が伝わるようです。
左:広重 右:ゴッホ
そしてこの絵には枠が付け加えられ、元の版画にはない漢字らしきものが両脇に描かれている。
これはゴッホが、日本の文字としての意味を認識してはいなかったものの、他の浮世絵に書かれているものからジャポニズム様のモチーフとして添えたものだろうということです。
日本への憧れと作風の変化
ゴッホは浮世絵を600枚以上も収集している。
そのなかでゴッホの作風は変化していく。
浮世絵に出会う前と後とでは、その作風の違いが顕著に現れています。
ゴッホは浮世絵の構図や色彩、平面的な描き方などその世界観に魅せられていた。
それはやがて浮世絵を通して日本という国(あるいは環境)に憧れるようになる。
そしてゴッホは、自身がイメージする日本の環境に近いと感じた場所へ移住するまでに至ります。
まさに日本の浮世絵は、作風のみならずゴッホの生活や思考そのものにも影響を与えたのです。
模写した浮世絵は他にもある
ゴッホは他にも浮世絵を模写したり、作品の中に浮世絵を登場させています。
広重の浮世絵
まずは先程と同様、広重の浮世絵より。
〔左:広重〕
歌川広重「名所江戸百景 大はし あたけの夕立」
画像出典:国立国会図書館デジタルコレクション
〔右:ゴッホ〕
Vincent van Gogh,Bridge in the Rain (after Hiroshige),1887
ゴッホ「日本趣味:雨の橋」
ファン・ゴッホ美術館所蔵
画像出典:ウィキメディア・コモンズ
こちらも元絵にはない、枠外に文字らしきものが散りばめられている。
英泉の浮世絵
そしてもう一つ、別の作者の浮世絵も。
渓斎英泉(けいさいえいせん)/1791年(寛政3年)-1848年(寛永元年)
〔左画像の右側:英泉〕
渓斎英泉「雲龍打掛の花魁」
この画像は英泉の花魁を掲載した雑誌(※)の表紙より
画像出典:ウィキメディア・コモンズ
〔右:ゴッホ〕
Vincent van Gogh, Courtesan (after Eisen),1887
ゴッホ「日本趣味:花魁(おいらん)」
ファン・ゴッホ美術館所蔵
画像出典:ウィキメディア・コモンズ
ゴッホはこの版画の実物を所持しておらず、雑誌(※)「パリ・イリュストレ」の日本特集号(1886年5月)の表紙に掲載されていたものをもとに描いた。
英泉の描いた花魁は、本来は右を向いている。
しかしゴッホが描いたものは左向き。
これは鏡像を複製されたもので左右が反転した状態になっており、雑誌の表紙から描かれたことがわかるそうです。
作品の背景に浮世絵
ゴッホが描いた肖像画作品の中、背景としていくつかの浮世絵が描かれているものがあります。
Vincent van Gogh,Portrait of Père Tanguy (Father Tanguy),1887
ゴッホ「タンギー爺さん」
パリ、ロダン美術館所蔵
画像出典:ウィキメディア・コモンズ
この絵の背景に描かれている浮世絵らしきもの。
これらの絵は実在し、いくつかは明らかにされているようです。
・歌川広重「役者と詩」揃もの 1861年
・歌川広重「富士三十六景 さがみ川」 1858年
・歌川広重「五十三次名所図会 四十五 石薬師 義経さくら 範頼の祠 1855年
ゴッホは影響を受けやすい人?
今も昔も変わらず、人は憧れるものに少しでも近づこうとする。
そして憧れの対象を真似てみたくなる。
それは画家であっても同様。
興味を惹かれる絵画を真似て描いてみたくなるもの。
憧れの作家の影響を存分に受けて、自らの作品に取り込みたいと考えるのは自然なことです。
ゴッホも同じくそうであったのでしょう。
ゴッホは影響を受けた作家作品の模写を、ことある毎に描いている。
ゴッホは浮世絵以外にも、多くの絵を模写しています。
その中でも浮世絵はとくに、手本のように扱っていたといわれています。
ゴッホが模写した元作品と模写作品とが並べられた記事がウィキペディアにありました。
リンクしておきますので、興味のある方はどうぞ。
ウィキベディア:フィンセント・ファン・ゴッホの模写作品
日本文化の影響を受けた画家たち
19世紀後半、ヨーロッパでは日本から渡来してきたものが流行していました。
浮世絵は当時の西洋絵画の思想とは全く違うところにあったもの。
その色鮮やかさと当時の西洋にはない新しい感覚とで、とても人気があったようです。
特にパリでは大流行。
そこへゴッホがパリに出向いたときに出会うことになるのです。
ゴッホ以外にも、日本に憧れを抱き傾倒した画家たちがいます。
エミール・ベルナール
ポール・ゴーギャン
クロード・モネ
ピエール・ボナール
エドガー・ドガ
ピエール=オーギュスト・ルノワール
カミーユ・ピサロ
グスタフ・クリムト
などなど。
作品は知らなくとも、一度は名前を聞いたことがある作家もいるでしょう。
そして画家以外の芸術家にも、日本文化は同様に大きな影響をもたらしたようです。
ゴッホが描いた花
ゴッホが描いた絵の中に、とても優しくて美しい花の絵があります。
Vincent van Gogh, Almond Blossom,1890
ゴッホ「花咲くアーモンドの木の枝」
ファン・ゴッホ美術館所蔵
画像出典:ウィキメディア・コモンズ
遠めから見ると一瞬、梅の花かと思ってしまったのですが。
アーモンドの木の花ということです。
この絵はどこか浮世絵風だと感じさせます。
それは構図であったり、輪郭線のはっきりした描き方であったり。
そして背景の清々しい青い色。
浮世絵では江戸時代後半、ベロ藍と呼ばれる美しい青色の染料が使われていた。
浮世絵で初めてこのベロ藍を使ったとされているのは北斎。
そののち浮世絵では、ベロ藍の青色が流行しよく使われるようになった。
この青色を海外ではジャパンブルーと呼び、北斎ブルーと呼ぶ。
あるいは広重ブルーとも呼ばれるようになったとか。
そんな浮世絵のブルーを想起させる青色のなかにあり、小ぶりに咲く花。
浮世絵の中の梅を模したようにも感じられる。
この作品はゴッホが亡くなる少し前に描かれたもの。
浮世絵に出会う前と後の作品とではまるで違っていて、その影響のほどはいかばかりであったかと思います。
ゴッホの作品が多く収蔵されているは「ファン・ゴッホ美術館」
現地へ行くのは大変ですが、日本の美術館でも各所でゴッホ展が開催されていることがあります。
本物を見に行ける機会があれば、ぜひどうぞ~。
後記
さて、今回は梅とは随分離れた内容になりました。
しかし浮世絵は梅に限らずとも、見れば見るほど楽しいものです。
とにかくその量がものすごい。
浮世絵は江戸時代の作品がとにかく多い。
しかし江戸時代が終わり、明治・大正の作品もあります。
江戸時代の作品は多種多様で面白いのですが、幕末から明治にかけて近代化が進んでいる様子を描いた浮世絵もまた興味深いものです。
浮世絵全盛期からもう100年以上が経っているので、ヨーロッパやアメリカなどに渡った浮世絵も、各美術館がデジタルデータ化をして自由に閲覧できるようにされています。
浮世絵は有名なものから無名のものまで、一体どのくらいの数あるのだか数え切れないほど。
人気作家ともなると一人で数百点も描いているし、見ていて飽きることがないのです。
興味のある方は、在りし日のゴッホやヨーロッパの芸術家たちのように、浮世絵の中のその世界に浸ってみてはいかがでしょうか。
それでは今回はこのへんで。
ここまでお付き合いくださいましてありがとうございます。
浮世絵から、江戸の生活の空気を感じてみてみてね~ヽ(´ー`)ノ